盆の行事

※『宮崎県史 資料編 民俗2』(平成4年3月)小野重朗執筆分より。引用の際には原本をご確認下さい。

盆釜

ボンガマ、ボンハガマなどといって盆の十四日、十五日に近所の子供たちが集まって近くの川原や、屋敷内などに、石の竃を築いて、鍋、釜をおいて飯をたき、野菜などを煮る。木の枝を折った箸で、柿の葉に飯を盛って食べる。盆ガマ用の小さい土器の鍋を売っていた頃もある。これを盆飯、ヒゴラメシなどという。諸県地方に広く行なわれたが、現在ほとんど見られなくなってしまった。

盆踊り
村の青年組の世話で盆の間に、公民館や学校の庭、お寺の庭などにやぐらを建てて、それを回って盆踊りが踊られる。藺笠を被ったり、覆面をしたり、男装、女装したりして、長い口説歌などに合わせて風流踊りを踊る。楽はやぐらの上で、太鼓、三味線、笛、胡弓が奏でられる。
 盆の十四日、十五日は新盆の家々を回って、地区の男女が供養踊り、念仏踊りをする。庭の精霊棚、家の屋敷には盆棚のまわりに多くの盆灯灯籠をともして、その庭でしめやかに踊る。酒、茶、盆団子などの接待がある。近頃は新盆の家々を回って踊るのを止めて、公民館などに地区の新精霊の写真を安置して、その前で踊ることにした地区が多くなっている。

巡礼
田野町、清武町から宮崎市の大島などにかけての地方では元は盆の間に巡礼が回るものであった。お火師様の信者が地区で数人ずつ集まって、家々、殊に新盆の家を回って巡礼した。白い遍路姿で頭蛇袋を下げ、数え歌の御詠歌をうたって回り、米などを貰った。盆踊り姿の変装した者も交じっていて、何組もやってくるものだった。

諸子祝イ
盆には精進料理を食べるのだが、盆にモロコという海の魚を食べるという習俗がある。盆の十四日、または十五日の朝か、晩の食事の時に、家の主が両親健在の時にはその食膳には二匹のモロコを添えて食べる。盆礼の時に兄弟姉妹などが集まって食事をする時などにもこのモロコを供するのを諸子祝イといって両親の健在を祝うのである。これは十六日に魚を食べて精進落しをするのとは全く別のことだが、時に混合されている場合がある。この習俗は県南の南那珂郡や日南市、串間市などで聞かれる。

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