共同調査

 民俗調査には、個人による採訪と合同調査があり、共同調査の多くは報告書というかたちで調査結果が刊行されるため、地元の研究者にとっては貴重な資料となっている。
 昭和十七年、西都市銀鏡にはいち早く調査団が入っており、これは銀鏡神社の浜砂正衛宮司が「斉藤忠氏、八幡一郎氏、平泉澄氏、倉田一郎氏、岡田謙氏ら」を招いたものであるという。(須藤功『山の標的』)また、昭和二十五年六月には、日向史學會の銀鏡史蹟調査団の一行七名が訪れ、『日向史學 第一巻第四号ー東米良特輯號』(昭和二十九年一月)にまとめられた。

【『高千穂・阿蘇』】

 『高千穂・阿蘇』は、昭和三十一年七月二十五日から同年八月七日にかけて、財団法人神道文化会主催、高千穂阿蘇綜合学術調査団(団長滝川政次郎)によって行われた調査の報告書である。民俗関連の現地調査団員(当時の肩書き)は、「宗教班」として原田敏明(熊本大学教授)、井之口章次(民俗学研究所研究員)、杉本尚雄(熊本大学教授)らが当たり、「民俗班」として今和次郎(早稲田大学教授)、吉町義雄(九州大学教授)、本田安次(早稲田大学教授)、倉林正次(國學院大學研究室)、西角井正大(國學院大学生)らが参加した。ちなみに宮崎県からは小手川善次郎(郷土研究家)、日高重孝(宮崎博物館長)、柳宏吉(高千穂高校)らも参加し執筆している。
 この合同調査の民俗関連に関しては、井之口章次が「高千穂・阿蘇の日録」として『西郊民俗四九』(昭和四十四年七月)に細かく記している。

【國學院大学】

『民俗採訪ー宮崎県東臼杵郡西郷村他ー』(國學院大學民俗学研究会刊、昭和四十年七月一日)は、昭和二六年から國學院大学が現在でも行っている合同調査の報告書である。
 調査代表は井之口章次で、他二〇名ほどの調査者で行われた調査の報告書である。調査は、「夏季共同採訪」といい、昭和三十八年七月十八日から二十三日にかけて行われた。調査地は、東臼杵郡西郷村の中八重、鳥ノ巣、増谷、和田、若宮、八峡、田代であった。内容は大きく「概況」「人の一生」「年中行事」「信仰」で構成され、質問項目を設定して行われた聞き取り調査をまとめたものである。

【学習院大学】

 木内義勝「宮崎の山村における生産と生活」『調査研究報告NO.7 環境と地域文化ー農村における自然と人間のかかわりー』学習院大学東洋文化研究所、昭和五十四年、聞き取り調査は木内義勝によって、昭和五十二年二月二十三日から昭和五十三年一月九日まで諸塚村にて行われたものである。

【椎葉神楽調査団】

 椎葉神楽は、昭和五十五年十二月十二日に国から「記録作成等の措置を講ずべき無形民俗文化財」として選択された。それを受けて昭和五十六年度から調査団による学術調査が行われた。椎葉神楽記録作成委員会は、委員長・本田安次のほか、後藤淑・武井正弘・山路興造・吉川周平・萩原秀三郎・渡辺良正・小島美子・樋口昭・荒木計子・山西鈴子・服部まどか・石井一躬・板谷徹・渡辺伸夫の総勢一五名による三カ年に及ぶ大規模な調査であった。
『椎葉神楽調査報告書 第一集』(昭和五十七年刊行)
 「椎葉の神楽調査と村づくり」、「椎葉神楽調査にあたりて」。本田安次「椎葉神楽総説」。武井正弘「椎葉神楽の現況(下福良地区・松尾地区・不土野地区・大河内地区)」。後藤淑「椎葉の神楽面」。「記録作成にあたって」。
『椎葉神楽調査報告書 第二集』(昭和五十八年刊行)
 不土野地区 板谷徹「不土野神楽」・武井正弘「向山日添神楽」、 大河内地区 渡辺伸夫「栂尾神楽」・渡辺伸夫「嶽之枝尾神楽」、 後藤淑「椎葉神楽面補遺」
『椎葉神楽調査報告書 第三集』(昭和五十九年刊行)
 下福良地区 武井正弘「十根川神楽」・山路興蔵「仲塔神楽」・石井一躬「夜狩内神楽」、荒木計子「椎葉神楽の神饌」、高橋春子「椎葉神楽の衣装」。
『椎葉神楽調査報告書 第四集』(昭和六十年刊行)
 不土野地区 吉川周平「向山日当神楽」・渡辺伸夫「尾前神楽」、下福良地区 武井正弘「胡麻山神楽」・渡辺伸夫「村椎神楽」、大河内地区 後藤淑「大河内神楽」、渡辺伸夫「椎葉神楽の神籬」、小島美子・樋口昭「椎葉神楽の音楽」。

【国立歴史民俗博物館】

 昭和五十六年度から昭和六十年度にかけて五年間に及ぶ、国立歴史民俗博物館によって「畑作農村の民俗誌的研究」という共同研究が行われた。調査地三カ所に、宮崎県東臼杵郡椎葉村が選定され、石川純一郎(常葉学園短期大学教授)、小島美子(国立歴史民俗博物館教授)、湯川洋司(山口大学講師)が調査に当たった。

第18集 共同研究「畑作農村の民俗誌的研究」
1988年3月刊行/B5/428ページ/完売

刊行にあたって 坪井洋文
近世初期山村一揆論 -北山・椎葉山・祖谷山- 福田アジオ
山男の系譜 永澤正好
日向山地畑作農村における村落祭祀 Ⅳ 各論-(3)宮崎県椎葉地方 石川純一郎
里に近づく山 -椎葉村尾前の民俗変容- 湯川洋司
山村民俗音楽誌作成のための試論
-宮崎県椎葉村を例として- 小島美子
共同研究「畑作農村の民俗誌的研究」研究会の記録

【早稲田大学】

 山之口文弥節人形浄瑠璃は、昭和三十六年山之口村(当時)の無形文化財に指定された。昭和四十二年に早稲田大学商学部教授杉野橘太郎が現地調査し、翌年の日本演劇学会秋季大会において発表があった。その後、昭和四十四年に宮崎県無形文化財指定、昭和四十七年に国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」の選択指定を受けている。
 その指定を受けて行われたのが早稲田大学等による記録作成の調査であった。平成四年度国宝重要文化財等保存整備費補助金の助成を得て実施された本調査は、平成四年六月二十八日、七月二十五日~二十七日、九月十一日~十三日、十一月二十一・二十二日の四回行った。調査・執筆者は内山美樹子(早稲田大学教授)・時松孝文(園田学園女子大学近松研究所講師)・永井彰子(福岡県史文化史料編担当)・山下博明(山之口町文化財専門委員)・和田修(早稲田大学演劇博物館助手)の五名が担当した。
 この調査は後に『山之口麓文弥節人形浄瑠璃調査報告書』として平成五年に刊行されており、その内容は概略以下の通りである。
 第一章 永井彰子「山之口麓の芸能環境」、第二章 内山美樹子「浄瑠璃史における文弥節」、第三章 時松孝文「文弥節の伝播」、山下博明「保存会の歩み」、第四章「現況」、和田修「概要」、和田修「文弥節の台本」、内山美樹子「文弥節の曲節」、時松孝文「人形と操法」、和田修「間の物」
 この報告書が刊行されて、平成七年十二月二十六日に国指定の重要無形民俗文化財「山之口の文弥人形」として指定された。

【北川上流域の農耕習俗】

 平成二年一月二十六日、「北川上流域の農耕習俗」は、国の「記録作成等の措置を講ずべき無形民俗文化財」として文化庁の選択指定を受けた。この報告書が、指定から六年たって、平成八年三月に刊行された。事業の推進については元文化庁主任文化財調査官天野武氏の指導のもと、他五名の執筆者が調査報告をまとめた。調査・執筆者は、地元から小野忠幸・今井昭三郎・児玉剛誠、県から那賀教史・前田博仁があたった。