夏の行事

※『宮崎県史 資料編 民俗2』(平成4年3月)小野重朗執筆分より。引用の際には原本をご確認下さい。

八十八夜

立春から数えて八十八夜目にあたり、大抵は新暦の五月二日頃となる。宮崎県の北部山地ではまだだいぶ茶摘みには早いがそれでもこの日には必ず少々でも茶摘みをし、その日の内に茶にして神仏に供えて飲み、また保存しておく。茶の摘み始めを祝って団子を作ったりして食べる。
 八十八夜に摘んだ茶は薬になるとして、その日に飲んだり、屋敷内に注いで祓ったりするだけでなく、大切に保存しておいて、新年を迎える年の夜にはこの八十八夜に摘んだお茶を入れて飲まねばならぬという伝承は県下に広く聞かれる。諸塚町家代ではこの八十八夜の茶を盆の十四日のお精霊様を迎える時のお茶にするものだという。

田の勧請

「八十八夜の別れ霜」という言葉は県下でもよく聞くことができ、本格的な農耕の季節に入る。昔さかんに麻を作っていた地方では八十八夜は麻蒔き時といって麻をまく日であった。麻蒔きは五ヶ瀬町などでは村中総出の共同作業で家々の麻畑の種蒔きをした。畑主は団子などを作って人々に出した。そうして八十八夜までに終るようにし、八十八夜に麻蒔きの終った慰安会をするものだった。
 苗代田の種まきも八十八夜を目途に行なう地方も多い。西郷村田代地方も八十八夜に苗代の種まきわして、その種をまき終えると、川原から両手にのるほどの石をもってき、これを田の神さまとして畔に置きねその回りに竹ひごに白い紙の三角のものをつけたハビロという小さい御弊を四本立てる。その前に小さな竹の棚を作って、それに餅を供えて拝む。田の神様をここにお迎えするので田の勧請である。この田の神石はそのまま置いて翌年も用いることもある。

幟祝イ

五月節句は現在、新暦五月五日に行なうところ、月おくれの新暦で行なうところなどがある。五月節句は男の子の節句だといい、男の子の初節句を幟祝イといって祝う。今は幾つもの鯉幟りを掲げることになっているが、大正年代までは鯉幟りはほとんどみられず、幟りというのは武者絵の幟りを立てることであった。定紋の入った、八幡太郎、源義経、金太郎、神功皇后などの武者絵を描いたもので親や親類から贈られたもの。それを共に都市部ぶは、家内の床の間にも、小さい座敷幟りを立て、佐土原土人形の武者人形わかざったり、茅やワラの馬を飾ったりするものであった。

菖蒲を葺く

五月節句に一般の家々でも、ショウブ(花しょうぶではなく葉に芳香のある薬用植物)を飾ったり用いたりする。ショウブとヨモギ(方名はふつ)を束ねて家の軒端にさす。県北の日向市から米良にいたる線から北の地方ではこれにススキの葉を加えるのが特徴になっている。これらり二種、または三種の植物を束ねて、主屋ばかりでなく蔵や馬屋などの屋根にも挿す。西郷村田代などのようにこれらの束を屋根の上に投げ上げるところもある。またこれらの植物は前日にとって束ねて、その夜は外で露に打たせておいて用いるところも多い。
 これらの植物はみな魔を祓い、厄を除ける力がある。ショウブやヨモギは芳香と薬効により、ススキは葉緑の鋭さによって、外から侵入しようとする魔や厄を祓うのである。この地方でもよく伝えられる説話がある。鬼から追いかけられている人が逃げて、ショウブや蓬の茂みに隠れると鬼はその中に入ることができず難を逃れるという話しで、これが五月節句の菖蒲、蓬の由来の説明説話になっている。
 五月節句のショウブは他にも、ショウブ湯をわかし、ショウブ酒を作り、ショウブを鉢巻にしたり、腰に巻いたりする。腰に巻くと田植腰が痛まないという。寝床の下に敷いたり、箪笥に入れたりもする。

五月の粽

五月節句の団子には柏の葉やカカラ(和名サルよりイバラ)の葉に包んだ柏餅やカカラン団子があるが、古くからのものとしては粽が代表的である。ササの葉、ダンチクの葉、トウキビの葉で小さな米の粉の団子をぐるぐる巻いた細長いもの、小四面体のものなどを幾つ束ねて蒸したもの。その食べた後の葉も戸外などに下げておけば魔除けになるという。ハチク、モウソウチクの竹皮で包んだ大きい竹皮マキもある。アクマキというのはその一種で竹皮に包んだ餅米を木灰汁でにて作るもので、諸県地方に多いのは鹿児島県から伝来したものという。竹皮マキは男性器を、三月節句の菱餅は女性器を示していると言うのをよく聞く。

ワセウエ

早稲植えの意であるが、田植え始めのことわワセウエといい、宮崎市、宮崎郡から諸県郡にかけての地方で行なわれている。一般には田植えの初日にトビノコといって小豆飯をたいて握り飯を作り、集落の田の神や家の神にも供え、田植えの人たち全員で食べて祝う。トビノコを配って食べることをトビの子が舞うという。そうした中に特別の儀礼をする所もある。田野町、清武町から宮崎市の木花にかけての地方のワセウエというのは集落の行事となっていて、家々ではそれぞれ二、三本の早苗を本田に植え初めをしてきて、その日は休みにし、神社の境内などに全戸主が集まって、神職をたのんで祈願をしてもらい、集落に帰って宴をする。この神事をしてから後ならいつ田を植えてもいいのだという。

サノボリ

田を植え終って田から田の神が昇って行く意であろうと言われている。サノボリには戸々の家が田植えを終えて行なう家のサノボイと、集落が田を植え終って一斉に行なうムラのサノボイがある。県下に広く現在も行なわれている。例えば都農町軣地区などでは日を決めて、觸れ役が「今日はサノボリドキゾー」と早朝に呼んで知らせて回ると、各戸みな仕事を休み、一人は朝に浜に下って潮水で手足をそそぎ潮水を汲んで来て、氏神、琴来神社、水神などに歩いて参り潮水を供える。その後でソーメン、煮しめなどで宴を開く。この例などは信仰的な性格の強いもので児湯郡の海辺にはこのような例が多い。サノボリを田植え終りに限らぬ例も多い。北諸県郡高崎町あたりでは苗代田に籾をまき終えるとナエサノボイをし、田植えを終えるとタウエサノボイをする。さらにサノボイの意味をひろげて、粟の種子をまき終ってするアワウエサノボイ、茶を摘み終ってするチャツンノサノボイなどというものもある。
 サノボイとよく似た行事にノロオトシ(泥落し)がある。田植えでついた田の泥を洗い落して休む趣旨の行事だが、この場合に田植えが済むとなるだけ早くノロオトシをするといって海辺にでて手足をすすぎ磯遊びをし、それからさらにサノボイを別の日にする例もある。

半夏
ハンゲまたはハゲとよばれ、夏至から十一日目の新暦の七月二日頃に当る。半夏生という草が咲くのでこの名があるという。ハンゲハンサク(半夏半作)といってこの頃に田を植えると遅いので収穫が半分になるといい、半夏前に田を植え終るようにする。半夏は田植えに限らず畑仕事もしない日とされている。もし半夏に田植えをするなら大きな編み笠を被ってしなければいけないという。また半夏水といってこの日には大雨がふって大水が出る日という地方が多い。都城市の西岳では半夏の前日の夕方には「明日は半夏につきねコラナベを立てるな」と觸れて回るものだったという。この日に鍋で油いためや、炒りものをする(これをコラをたてるという)と稲田が日焼けるからだという。このように半夏はいろいろ禁忌のある日で、農家は半夏団子という麦粉の団子を作って一日を休んで過ごす。

虫祈念・虫供養

この虫は稲の害虫のウンカや螟虫のこと。田植えを終るとすぐに害虫の心配をすることになる。県南では虫祈念または虫祈祷というのが一般的で、係りの役の者が神社で神事をしてもらい、虫除けの紙札を書いてもらって、それを二メートルほどの竹笹につけたものを田圃の地区ごとに立てて回る。その日、各戸の集会をし宴をすることもある。それに対して県北(境界は日向市の南端と西米良村の南端を結んだ線あたり)では虫供養ということが多く、寺で田植えのときに殺した虫や蛙などの供養をする。 赤などの色をつないだ紙旗に経文を書いたものを作ってもらい、これを竹笹に下げて田の畦に立てる。
 薬剤の発達した今ではもうみられれなくなったが、実際に害虫が発生した場合には虫追いとか虫送りといって、人々集めた竹の松明に火をともして田の畦を「サバエ虫や退けのけ」などと連呼して回り、皮や海に虫を流す行事がよく行なわれた。

万石朔日

旧暦六月一日のことわマンゴクメ、マンゴタツタチ、マンゴノツタチなどといい万石朔日と書いている。田植えがすんで万石の米がとれるようにと願う日だと説明される。西都市から児湯郡にかけてはまたカネクリツタチとも言う。カネクリは金氷で氷、つららの意である。昔、将軍家では富士山の氷を運ばせてこの日に食べたからだという。その氷の代りに官に餅をついて作っておいた切り餅(カキ餅)やアラレをこの日に焼いたり炒って食べる。これを食べると川や海に溺れないという。また東臼杵郡東郷町などでは川の事故にあわないように川祭りを行なっている。

オ祇園様

京都八坂神社の祇園社の祭りは旧暦六月の十五日だといい、祇園神社のない集落でも、家々でオギオンサアといってこの日に祭る地方がある。椎葉村から西都市などの周辺である。この日には胡瓜わ食べないという伝承はよく聞くが、それ以外にも、「川で泳いではいけない」「山や田に入ってはいけない」「瓜畑に入ってはいけない」など禁忌が多い。「ギオン様は片目で瓜畑で目を突かれたからだ」などと説明される。

鍬祓イ
県北部の焼畑の盛んであった地帯では旧暦六月十五日の後に、鍬祓イという行事が盛んであった。今でも行なっている家もある。この地方は畑作中心で、トウキビ(トウモロコシ)、粟、里芋、甘藷、大豆、小豆などの植付のような鍬を使っての仕事はオギオンサアの日を目あてに終るようにする。そしてオ祇園サアに続いて鍬祓いという行事を二日間とか三日間とかする。例えば椎葉村の上野、尾前では旧暦六月十六日を厄神ドキといって農作物の害虫や伝染病を除ける神事があり、その翌日が鍬祓イ(クハリャー)である。豊作に使った鍬の類をみなよく洗って干し、家のデェーの間に並べ、締め縄を回し、クワハレ団子という小麦団子を供え、灯をともして家族で拝む。神職が家々を回って鍬を祓う神事とした。近隣が集まって飲み食いするものだった。諸塚村や日之影町ではクワオセ、クワフセというのも同じ行事である。

六月灯・六月縁日
諸県地方は鹿児島県の島津藩に属していたこともあり、年中行事に共通するものが大井が、六月灯もその一つである。旧暦六月に入ると村々の神や仏の祠てでは夏の祭りを次々と日を違えて行ない、家々から西瓜や茄子の絵や武者絵などを描いた灯籠を奉納し、その境内には金魚すくいや花火をうる夜店がでて賑わう。これをロクガツドーと呼んで、夏の風物詩となっている。
 また宮崎市とその周辺では、これと同様な神仏の夏祭りのことを六月のエンチ(縁日)と呼んでいて、こちらも灯籠をとぼし出店がでて賑わう。旧暦六月は伝染病も多くなるし、大雨の洪水もあって災害を受けやすい月であり、神仏に祈ることが多かったのだが、それが風流化して華やかなものになったのである。

土用丑の日
夏の土用中の最初の丑の日で新暦では七月の下旬ごろにくる。この日は川魚をとって食べて養生をする日とされていて、鰻に限らず川魚、川エビ、タニシなどをとって来て食べた。またこの日に採った薬草はよくきくといって、この日は仕事を休んでゲンノショウコ、センプリネドクダミなどをとりに山野にでて過ごし、それらを陰干しにして保存するものであった。

※以上は『宮崎県史』より、引用の際には原本をあたってください。

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