※『宮崎県史 資料編 民俗2』(平成4年3月)小野重朗執筆分より。引用の際には原本をご確認下さい。
明月様
旧暦八月十五夜の満月はメギツサン、メギツドンといって信仰される。月の射す庭先に明月様に供え物をする。下に木臼を台にして、箕を置き供えものをのせる。供えものは秋の果物や野菜。里芋、カライモ、トウキビ、栗、柿。升に入れた十五夜団子、ボタモチなど。宮崎の特別な供えものとしては焼米(ヤキノコメ)と豆腐がある。新米の穂の青い内に作った焼米、新大豆で作った豆腐を添える習慣が広くある。瓶にさしたススキ、稲の穂、オミナエシ、カルカヤ、キキョウ。灯明。月がでると家族が庭にでて月を拝む。今は木臼もないので箕を縁側に置くことが多い。
月の出ている間なら、他所の供え物を無断で盗ってもかわわぬといい、子供たちが何人かで集まって供えものを取って回る習慣は広くみられる。「十五夜サン貰イニ来マシタ」とか「十五夜クレンノー」などと公然とて持っていく。これをオ月バツケというのはバッケは奪い合いの意である。子供たちが月に代って供えものを受けるとみることができよう。
月への供え物に限らず、十五夜の月の出ている間なら畑の西瓜や瓜、屋敷内外の柿、梨、栗、蜜柑などの成りものを盗っていいと言われ、近年までは村の青年たちが実行するものだった。これを叱ったり、怒ると、その家のその作物の出来が悪くなると言うものだった。
十五夜の月の明りはその年の麦の出来と関係が深いと言われる。月が明るいと麦の出来がよい。月がはじめ曇っていて後に明るくなると、早生麦は悪く、晩生麦がいいといって、その冬の麦播きの参考にする。
十五夜明月に対して十三夜明月、十夜明月を見る習慣も県北などに少々知られている。十三夜というのは旧暦九月十三夜のことで、十夜は旧暦十月十日夜のことであり、特に十三夜の方には十五夜と同じように供えものをする習慣もみられる。十五夜のことを芋明月(里芋の明月)、十三夜のことを豆明月とよぶ習慣も県北の高千穂町などできかれ、十三夜には新大豆をさやごと煮て供える。月の明かりと麦作の関係や、成り物を盗む習慣は十三夜にもある。
十五夜綱引・十五夜相撲
十五夜の明月の下で、集落で綱引をする地方は広い。鹿児島県から宮崎県南へ引き続いて北上し、日向市南部から椎葉村南部の線までが十五夜綱引の圏だが、その北にも少々は分布している。
日向市油津の浜では戦前まで十五夜綱引が盛大だった。綱の材料のワラは農村までもらって回る。竹をくだいて芯に入れた。青年が一本の大綱に作る。月がでると子供たちは綱を引いて大通りを西の端までいき、そこから出発して東の端までいき、そこから出発して東の端までの道をずっと綱を引いて進む。これは必ず行なう。綱を町の中央にもってきて、綱引をする。みんな綱に手を掛けて、太鼓に合わせて綱引き歌を一節歌い、それから「エイヤー、エイヤー」と一しきり綱を引く。また歌がはじまり一節歌って引く。これを繰返す。西と東に分かれて引くが、西が勝っても東が勝っても、綱は最後には西側にまかせる。西側の人はこれを引いてオトヒメサア(乙姫神社)の神殿と拝殿との間に巻いて納めておく。
宮崎市金崎では現在も十五夜綱引をする。今は父兄が綱を作る。ワラで太さ十センチ、長さ十メートルほどのもの三本を作る。月がでると先ず一本で年の神社の前で子供たちで引き合い、そこにある十五夜石の自然石に巻きつけておく。次に一本の綱を引いて一班の地区の外側を回る。子供組の年長の十四歳の者は子供庄屋たちは綱の尾を電柱などに巻いて進行を止める。子供たちは力を合わせ、十五夜歌をうたって綱を引いて引きとって進む。これを何度か繰返し、地区を一周しそこの十五夜石に綱を巻く。次は第三本目の綱を引いて二班の地区を回って十五夜石に巻く。つまり金崎には三ヵ所に十五夜石が祀られている。これが終ると子供たち全員家々を回って供え物を貰って回る。
二つの例でも分かるように伝統的な十五夜綱引は綱を引き合うだけでなくみな個性のある行事になっている。特に綱を引くか担ぐかして集落を回る例が多い。綱は聖なるものとして村を巡り祝福するのかも知れない。
事例には出なかったが、十五夜綱引の後で村の子供や青年の十五夜相撲のあるのが普通である。綱引で切れた綱を土俵の回りにまわして、その中で夜更けまで相撲があり、地区の大人たちも賑やかに見物する。
十五夜踊り
宮崎市から児湯郡にかけての海よりの平地の集落では十五夜の昼に十五夜踊りという臼太鼓を踊る例が多い。例えば佐土原平小牧では旧暦八月十五日の朝の内に十五夜太鼓踊りを踊る。鉦四人、太鼓十六人で青年の若い方から数えて十六人が踊る。村を流れる石崎川の水神石祠の前で踊る。背に三本の青赤の旗を負い、胸に太鼓をさげ頭には毛笠をかぶる。体型をいろいろ変化させながら、「奥州の国」「佐土が島」「末世」の三コを踊る。歌は古風で歌方がうたう。水神の川の神に奉納するのが主だが、氏神の稲荷神社でも踊る。他の多くの場合も十五夜踊りを水神に踊るとする例が多い。
十五夜柱松
串間市の大字都井と市来とでは昔はそれぞれ小字ごとに十五夜に柱松をやっていた。近年までやり今はやめた市来の藤の例では地区の青年組が鉦太鼓で松の木を引いてきてそれを立て支え木を何本もする。頂上に葉を残して日の丸扇をつける。その下に炭俵を漏斗状につけて杉の葉など燃え代を入れる。夜に青年たちは海で潮を浴びて身を清めて来てつが松の火に紐をつけたものを下から投げあげる。「トットコトツテ、衛徳坊」と掛け声をかけて投げる。漏斗状のツトに火が入ると盛んに燃え上がり、人々は張った縄を引いて松を例してしまう。柱松は一匹の竜であり、ツトはその口で、火をつけて竜を退治したのだという。柱松の下に巻いた綱で十五夜綱引もする。都井では現在、観光的な柱松を行なっている。
また串間市の山地に近い広野では十五夜にメゴスリという行事をする。子供組の最年長の者数人が薬師堂で怪奇な面を被り、シュロ蓑を着て、ワラの大足半草履をはいて、手には大きなワラで作った棒をもつ。このメゴスリが子供たち(みな鉢巻、ワラ棒をもつ)を連れて家々を回り、庭をワラ棒で打って「モグラウチャ、ドンドコセ」を唱える。家々では新しく作った焼米などを与える。これが終ると綱引をし、綱を神社の鳥居に掛けて終る。