冬の行事

神祭り

宮崎県の中、南部には集落の地域神の氏神とは別に、個々の家や、数戸の同族が祀るウジガミ(氏神または内神)の小祠を屋敷や屋敷外にもつのが一般的で、その祭りのことを氏神祭りともただカンマツイ(神祭り)ともいい旧暦十一月に日を決めて行なわれる。こちらは甘酒を作ることも多いが、供物としてオゴク(小豆に入った赤飯)とシトギ(粳米を水にかして臼でついて粉を水でこねたもの、団子状にもする)が重視される。神職が招かれて祭りをするのが普通で、地区によっては子供たちが集まってきて木の葉にオゴクやシトギをもらって食べる。なお県北にはこのような小祠の氏神は一般には見当らないが、その代りに屋敷の内外にある屋敷荒神の石や木の神体を中心に神祭り、荒神祭りをやはり十一月に行なうことが多い。こちらは山伏が祭る例がみられる。
 宮崎市から日南にかけての平地地帯では神祭りの朝にミサキ祭りをする例が多い。主婦や戸主がオゴクとシトギと御弊をもっとて自家の田に行き、そのワラ小積の上に供えて手を拍って拝むと近くの山からその家のミサキ様(烏)がきてそれを受けとるという。田の農神としてのミサキ様を祭るのである。

四ツ身祝い・紐解き

今は十一月十五日は七五三の日として賑わうが、その元になった行事が宮崎でも聞かれる。綾町入野や国富町深水などでは子供が三歳になるとこの日に集落の氏神に参るのをヨツミ祝いといった。これは着物の三つ身のものを四つ身に変える祝いであった。また五ヶ瀬町では子供が四歳になるとこと日に神社に参るのをヒモトキと言った。これも紐つきの三つ身の着物を紐のつかない帯結びの四つ身の着物にする紐を解く祝いの意味であった。

師走川

旧暦十二月の一日のことを川渡り朔日とか川渡りとか、師走川などというるそれと共にこの日のことはネリクリ朔日、ネバリ朔日、オネバノ朔日、ソバケ朔日などともいう。このような珍しい名称がいろいろあるのはこの日に独特な伝承があるからである。例えば宮崎市瓜生野では、旧十二月一日は粘いものを食べる日とされていて、甘藷を煮て餅米を蒸したものとをつきまぜてネリクリを作って食べた。この日粘いものを食べないと川が渡れないとか、水難にあうとか言う。また西米良村ではこの日をソバガユ朔日といってソバに入った粘い粥を食べることになっており、この日に橋を渡る解きには「ソバ粥食ったあ、ソバ粥食ったあ」と唱えないと、翌年には水難にあうものだと言っている。このように旧暦十二月朔日には粘りケのある食物を食べて、川を渡ったり、橋を通らぬと水難にあうと言う。宮崎市以北に広く聞かれる伝承がある。

水の符貼り

五ヶ瀬町、高千穂町あたりでは旧暦十二月の十二日には幅五センチ、長さ二十センチほどの白紙に「十二月十二日・水」と二行に書いて、母屋、馬屋、倉などの柱などに貼り付ける。これを水の符といって火伏せの守り札になるのだという。昔は旧暦十二月十三日には正月用意を始めるものだったから、十二日は年の内の最後の日であった。そのため防火の祈願を行なったのであろうか。

果つる二十日

旧暦十二月二十日を一年の終りの二十日という意味でハツルハツカという。「ハツルハツカは脛ハツル」仕事をすると大怪我をするという。ひの日は山の神が祭りをする日で木の数を数えるので、山にいくと木に数えこまれてしまうという。一般の山の神祭りは月々の十六日となっているが、この果つる二十日は年中で終りの山の神の祭り日である。宮崎市、宮崎郡でよく知られる伝承である。

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