正月の終わり

※『宮崎県史 資料編 民俗2』(平成4年3月)小野重朗執筆分より。引用の際には原本をご確認下さい。

十八日正月

十四日、十五日の小正月に続いて十八日も十八日正月といって特別な日であった。先に話したように小正月の十五日の朝には小豆粥または小豆飯を炊いて、柳の削りかけの箸で食べるが、この十五日の粥または豆飯を、これの間に供えたものを残しておいて、十八日にメノモチを入れて粥につくる地方が宮崎市周辺から諸県地方にみられる。これを十八日粥といってこれを食べると体にいいという。例えば三股町山王原ではこの十八日粥を指先につけて目、耳、鼻、口につけて「目も見えます如つ、耳も聞きますご、鼻もききますごつ、口も適ますごつ」と唱え、手足にも塗る。またマムシ除けにこの粥を家の回りにまいてまわる。
 また諸県地方では十四日に飾ったメノモチの中で特にヨコザンメ(台所にさしたメノモチ)の下で病気すると治らないと言い、他のメノモチは二十日に下ろすのに、このヨコザンメだけは十八日に下して、粥に入れて食べることになっている。

二十日正月

正月二十日は正月が終るので正月の供え物はみな下して、特にメノモチ、柳餅の類はちぎりとって飯や粥にして食べてしまう。この日にひもじい思いをすると一年中ひもじいことになるので腹一杯食べねばならぬという。この日にはチャノコを食べねばならぬという伝承は県下に広く聞かれる。チャノコは茶の粉とも思われ、麦や小豆、大豆、時には干し甘藷などを平鍋で炒って、石臼で粉にひいたもので、麦ではハッタイ粉、大豆ではキナ粉、小豆では香煎である。これを二十日正月には椿のはや竹の皮などですくって食べる。この粉が拭き飛ぶように正月がとび散って終わるのだともいう。二十日正月に何故チャノコを食べるかについて椎葉村日添の椎葉秀行さん夫妻は「これは鍋でコーラス(炒る)ことの口開けにあたる」と言う。小正月の間は鍋で炒ったり焦がすと田が日焼けになると忌むので、小正月の終わる二十日に麦や小豆や小豆の炒った粉を作って二十日粉といって食べ始めるのだという。

送り正月

正月の終わりの旧暦では三十日の(新暦三十一日)を送り正月で正月を送り出す日だという。特に行事があるわけではないが、また餅をついたり、ブッショというおにぎりを供えて正月殿を送る。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です